小説(単行本)

〜1970s

1958年3月 

『死者の奢り』

文藝春秋新社)


学生作家として注目を集めていた大江による、初の単行本。「死者の奢り」「偽証の時」「飼育」「鳩」「奇妙な仕事」「人間の羊」「他人の足」の7篇を収録している。表題作は、医学部の大講堂の地下にある死体処理室で、アルコール溶液に浸っている死体の群れを新しい水槽へ移しかえる日雇い仕事に取り組む大学生・「僕」が、息詰まる閉塞感のなか、《物》としての死をつきつけられる様を描いた。また「飼育」は、第39回芥川賞受賞作となった。

1958年6月 

『芽むしり 仔撃ち』

(大日本雄辧會講談社

戦時中、山奥の僻村へと感化院から集団疎開した少年たちの姿を描いた作品。村人は、疫病の流行に伴って、少年たちを村に閉じ込めたまま逃亡してしまう。身捨てられた少年たちは、彼らだけで自由な集団生活を謳歌するが、村人の帰還によってそのコミュニティは脆くも崩れてしまう。みずみずしく抒情的な文体によって綴られた、大江による初の長小説である。

1958年10月 

『見るまえに跳べ』

新潮社)

20歳のフランス文学科の学生の葛藤を描いた表題作をはじめ、「暗い川おもい櫂」「不意の啞」「喝采」「戦いの今日」を収録。見てばかりいて決して跳ぶことをしない青年の姿を通して、政治と性の主題に迫った作品集。




1959年7月 

『われらの時代』

(中央公論社)

書き下ろし長小説。主人公である、仏文学科の学生南靖男、懸賞論文に応募してフランスに留学することを希望しながら、情人との不毛な性交にふける。閉塞感のなかに生きる若者の姿を丁寧に描き出した作品である。



1959年9月 

『夜よゆるやかに歩め』

(中央公論社)

『婦人公論』1956年1月〜6月号に連載された長篇作品。文学部で学ぶ大学生・康男と、彼の従兄の妻である女優・矢代節子の関係を描く。大江のキャリアのなかでも異色の恋愛小説(『大江健三郎全小説』未収録)。

1960年5月 

『孤独な青年の休暇

(新潮社)

大江25歳時に発表された短篇集。25歳の誕生日を迎えた青年「私」の孤独・疎外感と、自由を求めての逃避行を描いた表題作ほか、 「後退青年研究所」、「上機嫌」、「共同生活」、「ここより他の場所」の6篇を収録。

1960年6月 

『青年の汚名』

(文藝春秋新社)

1959年8月〜1960年3月にかけて『文學界』に連載された長篇小説。ニシンの不漁や風土病に苦しむ北海道の孤島を舞台に、過去の栄光にしがみつく長老と、現状を打破しようとする若者たちとの対立を描いた異色作(『大江健三郎全小説未収録)。大江がラジオドラマの取材のために北海道・礼文島を訪れた経験が反映されている。


1962年1月 

『遅れてきた青年』

(新潮社

『新潮』1960年9月号〜1962年2月号に連載された、二部構成の長篇小説。「第一部 一九四五年夏、地方」では、地方の谷間で終戦を迎え、戦争に「遅れてきた」と感じている少年の姿が描かれている。第二部 一九五*年 東京」では、成長して都会に出た彼が、社会的な成功を収めつつもその内面において葛藤を抱え続ける様子が、当時の政治・社会状況を意識しつつ描かれている。大江の半自伝的小説であるだけではなく、「遅れてきた青年」として1960年代に生きる若者たちに共通する意識を抉り出した作品である。

1963年1月 

『叫び

(講談社

『群像』1962年11月号に掲載された長編小説。語り手であり、梅毒恐怖症の二十歳の大学生・「僕」、黒人の父親と日系移民の母親との間に生まれ、ジゴロでアルコール中毒の「虎」、朝鮮人の父親と日本人の母親の間に生まれ、「オナニイの魔」を自称する呉鷹男は、スラヴ系アメリカ人で同性愛者のダリウス・セルベゾフのもとに集う。この4人の青年の共同生活を通して、当時の若者が抱える苦悩や青春のかたちを描き出した。


1963年6月 

『性的人間』

(新潮社

痴漢願望を持つ29歳の青年・Jを主人公とする表題作をはじめ、山口二矢による浅沼稲次郎暗殺事件に着想を得て書かれた「セヴンティーン」、そして「不満足」を収録した中・短篇集。性的欲望に翻弄される「性的人間」、そして政治的抗争に突き進む「政治的人間」の姿、その交錯を詳細に描くことで、人間の実存に迫った。



1964年4月 

『日常生活の冒険』

(文藝春秋新社

『文學界』1963年2月〜1964年2月号に連載された長篇作品。18歳でナセル義勇軍に志願したのを皮切りに、多くの人間がおよそ冒険的でない日常生活を営む現実世界にあってなお冒険的な生涯を送り、ついに北アフリカで自殺した友人・斎木犀吉をめぐる青春小説である。


1964年8月 

『個人的な体験』

新潮社

長男・光の誕生に着想を得て書かれた、書き下ろし長篇小説。頭部に異常を持つ赤ん坊の出生に対峙した若い父親・「鳥(バード)」の葛藤、その逃避と受容のプロセスを描いた。この作品以後、障害児との共生が、大江文学の重要な主題となっていくこととなる。



19679月 

万延元年のフットボール

講談社)

『群像』1967年1月〜7月号に連載された長篇小説。語り手である根所蜜三郎が、弟・鷹四、妻・菜採子とともに、故郷である四国の谷間の村に戻った時、彼を待っていたのは、スーパーマーケットの進出によって様変わりした故郷だった。村は、かつて万延元年に起きた一揆を再現するかのような暴動へと突き進んでいく。変わりゆく社会情勢を、歴史との連続のなかに、鋭い眼差しでとらえた作品である




1969年4月 

『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』

新潮

「ぼく自身の詩のごときものを核(コア)とする三つの短篇」と銘打たれた「走れ、走りつづけよ」、「核時代の森の隠遁者」、そして「生け贄男は必要か」。そして、「オーデンとブレイクの詩を核(コア)とする二つの中篇」と銘打たれた「狩猟で暮したわれらの先祖」そして「父よ、あなたはどこへ行くのか?」を収録。日常のなかに抗い得ぬかたちで入り込む狂気と、それを抱えながら生き延びる道の模索が、生々しく描き出されている。書き下ろし小説論「なぜ詩でなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの」併載。


1972月10月

『みずから我が涙をぬぐいたまう日』

(講談社)

『群像』1971年10月号に掲載された表題作に加え、書き下ろし中篇「月の男(ムーン・マン)」および「二つの中編を結ぶ作家のノート」を収録。「純粋天皇」による救済を求める人間の想像力を、それぞれ異なる角度から描き出した。1970年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に闖入し割腹自殺した三島由紀夫の死を受け、大江の「天皇」をめぐる葛藤と問題意識が色濃く反映された作品。


1973月9月

『洪水はわが魂に及び(上下巻)』

(新潮社)

書き下ろし長篇小説。「鯨と樹木の代理人」を自認し、障害児ジンと共に武蔵野台地の核避難所跡に立て籠る大木勇魚は、「自由航海団」の若者たちの、企てに巻き込まれていく。同時代的な社会状況のなかで、世界の終末を見据え、人類の未来を問う大作。


(帯より)


第 26 回・野間文芸賞受賞作/《著者の言葉》僕は遠方からおしよせる「大洪水」の水音を、ふたつの世代の人間の想像力のうちに、またかれらの行為と実存のうちに、共震する響きをつうじてとらえようとした。その、しだいに増大するコダマは、ついに全的なカタストロフィを構成せざるをえない。しかもなおそれを生き延びる、人間の赤裸な意志の光において、僕は「大洪水」を照らしだすことを望んだのである。


僕は六〇年代後半から、七〇年初めにかけてこの小説を書いていた。現実に深くからみとられている僕が、あらためてこの時代を想像力的に生きなおす。それがすなわち小説を書くことなのであった。いまや「大洪水」が目前にせまっているという声は、一般的になっている。その時、想像力的に同時代を生きなおす、ということには現実的な意味があるであろう。

1976月10

ピンチランナー調書

(新潮社)

『新潮』1976年8月〜10月号に連載された長篇小説。語り手「私」=「光・父」は知的障害を持つ子の父親であり、同じ特殊学級の父兄として知り合った、原子力発電所のもと技師である「森・父」のゴーストライターを引き受ける。「宇宙的な意思」の介入によって「森・父」とその息子「森」との間に起きた「転換」、彼らが巻き込まれていく政治抗争を、喜劇的に描いた作品。

1979月11月

『同時代ゲーム』

(新潮社)

書き下ろし長篇小説四国の谷間の地に存する「村=国家=小宇宙」に生まれた語り手・「僕」、双子の「妹」に向けて「村=国家=小宇宙の神話と歴史」を書簡形式で書き綴る。「僕」自身の幼年時代の回想、滞在先のメキシコでの経験を交えつつ、複雑で撹乱的な語りによって、谷間の地に根ざした神話と歴史を、生々しいイメージの奔流のなかで浮かび上がらせる大作。大江が当時活発に交流していた、山口昌男の文化人類学理論をはじめ、「異化」や「グロテスク・リアリズム」といった文学理論を応用しながら、新たな文学表現を試みた。